オープンカーと歯磨き粉 (・◇・)

 先週の土曜日は歯医者での定期健診だったので、土曜の朝は普段より丁寧に歯を磨くことにした。
普段の3倍は時間をかけて歯を磨こう。と思った私は120秒間も洗面台の前で右手を前後左右に振ったり、大口を開けて自分の顔と
向き合う行為を行い、歯間を掃除するフロスを済ませた。
「完璧だ、見たところ私の歯に異常はない」

「奥歯と前歯の裏側に虫歯になりかけている所がありますね」
3時間後に歯医者から放たれた言葉は私の理性を奪い去るのに十分なパワーがあった。
あんなに歯磨きをしていたしフロスもしているのになぜ?
好きでもないミント味の歯磨き粉と長期間付き合ってきたのにこんな仕打ちはあんまりだ。
この出来事から私は歯磨き粉への八つ当たりを考え始めた……。

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歯磨き粉が何故ミント味なのか、説明出来る方が居たら直ぐに教えて欲しい。

 歯を磨く行為に置いて味など一切不要のはずだ。
車のワイパーにベルギーチョコレートの味付けをする様なものだ。
誰もワイパーをかじったり舐めたりしたいとは思わない、窓ガラスに味覚はなく、ワイパーとは安定してガラスの向こう側を見るためのモノだからだ。窓に付着した異物を取り除くために開発された100年の歴史を持つ装置だ。
ワイパーがガラスの異物を取り除くことが目的であるように、歯磨きの目的は歯の表面にこびり付いた細菌の温床である歯垢を取り除き、二度とは出会えない一生モノの自分の歯をメンテナンスし、長持ちさせる事だ。
しかし、その作用を助ける歯磨き粉には無関係であるはずの味がある、9割はミント味だ。因みに私の言う9割は100%だ。


 味と言えばコカ・コーラは1886年から1983年までの約100年間、味は1種類だけであったが
その後は多種多様な味が生まれていった。
ベルトコンベア式流れ作業で生産された自動車として有名なフォードのモデルTも1908年から1927年までの20年弱の間”味”は1度もモデルチェンジはしなかった。(モデルチェンジとは名前はそのままで、中身や外見が変わる事だ。最近だと日本の首相が安倍から菅にモデルチェンジした)

 このような問題、疑問は度々現れる。
ある目的に対して必要なモノに必要とは思えないモノや機能が付いている現象だ。
スマホの契約には長い説明を受けなければならず、ロードオブザリングの様にインターミッションを挟みながら契約を行う。
2秒後には解約したくなるような無用なプランやアプリの説明も受けなければならない、しかもこれには加入義務?があるのだ。
私には不要な機能だった、ミント味だった。私には通話機能と簡単なSNSがあれば十分だ。私にとってそのアプリは説明時に1度だけ見るモノであり、説明が終わった3秒後には記憶から消え去る。貰った後は2度と見ることはない結婚式の引き出物の食器のようだ。タンスの奥にしまった後は数十年後の遺品整理が始まる日まで世界から存在が消える。

ミント味はなぜ存在するのか……。

 これは要するにマーケティング戦略の1つだ。
競合商品、サービスの氾濫したコモディティ化してしまった商品カテゴリーではよく見られる現象だ。
2000年代、自動車メーカーは燃費の良さを競っていた。テレビのCMは燃費の良さ、価格の安さを売りにしていた。
もし開発者が「500馬力、0~100m加速4秒のミニバンを作りたい」等と言おうものなら瞬く間にクビになり、一族郎党は反環境保護者だとしてシーシェパードやグリーンピースの様なテロリスト団体から殺害予告が届いてただろう。
メーカーは性能面、価格面でどれも横並びになると今度はキャラクターでイメージで違いを演出し始めた。オリジナルキャラクターや有名漫画キャラクターの力を借りたりゲームのBGMやキャラクターを使用する等様々だ。
これは現在のソフトバンク、ドコモ、auにも当てはまる事だ。犬、インコ、〇〇太郎。CMを観たことがあるのではないだろうか。
そして思い出してほしい、金額やサービスの違いを大きく訴えるようなCMだっただろうか。

  ここで歯磨き粉の話に戻ろう。
ミント味の話だ、これは歯磨きの目的にはまったく関係がないのだが使用者が「私は歯を磨いた」と満足させスッキリした”気持ち”
にさせるための味付けなのだ。
事実としてミントにはすっきりした”気持ち”にさせる効果がある。歯磨き粉のほかにはガム等でミント味が多いのもこのためだ。
そう”気持ち”だ。どんなにミント味の歯磨き粉を使っても実際に歯を磨けているかは当人の歯磨きの腕に掛かっている。
綺麗に磨けていようが磨き残しがあろうが、ミント味が付いているとスッキリするのだ。
プリウスに乗って私は環境に配慮したやさしく思慮深い人間だと思い込むのと同じだ。良い事をしている気持ちになる。気持ちよくなるのだ。

ここまで書いていてふと思い浮かんだ。必要でないのに付随しているモノ……ほかにもありそうだ。そして
「オープンカーとはなぜ存在するのか」
と言う問いが思い浮かんだ。

車とは人や荷物をより遠く、より速くどこか別の場所へ移動する為の道具であり手段であったはずだ。
馬やロバが道端でムチに打たれ死ぬ時代を変えた、世界を救った救世主だ。
そこには屋根を外さなければならない道理は存在しない。しかしオープンカーは存在する。
私はオープンカーに乗ってみる事にした、もしかするとそこには”ミント味”が存在するのかもしれない。

124スパイダーと言う車を借りる事が出来た。オープンカーだ。
これはマツダのロードスターと言う小さなオープンカーをベースとし、エンジンはイタリア製という車だ。
少し車が好きな人なら「イタリア製?3日で燃えて灰になるんだろ?」と想像されるかもしれないが安心してほしい。
フェラーリやランボルギーニと言ったイタリアン高級スポーツカーはよく燃えるが、あれは純粋なイタリア製、これはメイドインジャパンだ。ロードスターと同じ工場で生産された車であり300年は乗れる。

結論から言うと、やはりオープンカーにも”ミント味”は存在した。
走る、曲がる、止まるの車の要素にはまったく不必要とも思える屋根が開くという味付けは実に不思議な感覚だ。
タイヤのついた露天風呂のようだ。通常の風呂、バスルームとは密閉されており1人でしっとりと疲れを取ったり体を洗う場所だ。
しばしば露天風呂は一般的な風呂の上位の存在として扱われる。バスルームから屋根という要素を1つ取り去ったのに、価値が上がったように感じてしまうのだ。同じ屋根を取り去った映画俳優のブルース・ウィルスも一般的な男性と比べると上位の存在だ。
私もオープンカーは一般的な車の上位の存在として感じてしまった。屋根を開けて走ると特別なスッキリ感を味わう事が出来た。
これは実際に体験してみて欲しい。ミント味を説明するにはミント味を食べてもらうのが一番いい。

オープンカーは周囲の視線を感じてしまう。なくなったのは屋根だけ、つまり頭の上の壁であり横からの、つまり窓ガラス越しに
見られる視線は屋根があっても無くても同じなのだが屋根が無くなると横からの視線が気になるのは不思議だ。
そういえば屋根の取り外しが可能な知人も周囲の視線が気になる事があると言っていた、不思議だ。

不要なモノは存在しないのかもしれない。
ある視点から見て不要であっても、別の視点から見ると必要となる事があるのだ、そんな事ばかりなのだ。
人は知らず知らずにわがままになっている。
自分では必要最低限だと思っていても、どこかに必ず自分勝手さがある。
しかし人が人である、生き物が生き物である証明の一つに”自分勝手”があるのだ。

私は歯磨きのミント味は不要だが、車のミント味は悪くないものだった。
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